THE QUILT WITH AN EMPTY SQUARE / SABA'S STORY
家族を見送ったあと、ひとつの箱だけが、どうしても片づけられずに残っていました。
古いエプロン、何度も洗ったタオル、色の薄れた花柄の布。
「優しくできなかった日まで、思い出してしまうんです」
そう言う人の隣で、さばくんは答えを急がず、揃わない布を一枚ずつ見つめました。空白を消すのではなく、空白とともに朝を迎えるまでの、七つの物語です。

THE BOX THAT COULD NOT BE PUT AWAY
第一部|片づけられない箱
春の終わり
窓のそばに置かれた箱だけが
冬のつづきを抱えていました 古いエプロン
何度も洗って薄くなったタオル
小さな花の並ぶ布 捨てようと持ち上げると
朝の台所が戻ってきて
残そうと蓋を閉じると
あの日の声が遠くなる気がしました その人は箱の前で
どちらも選べないまま
長い時間 手を膝に置いていました さばくんは
「大切なものですね」とも
「もう片づけてもいい」とも言いませんでした ただ 箱の横へ椅子を寄せ
一緒に蓋の開いた時間を
静かに見守りました
片づけられないことにも
まだ言葉にならない理由がある。
急いで名前をつけなくていい。

THE DAYS I COULD NOT BE GENTLE
第二部|優しくできなかった日
一枚の布を手に取ると
笑えた日の向こうから
笑えなかった夜も戻ってきました 疲れていた声
返事をしなかった背中
あとで謝ろうと思いながら
眠ってしまった朝 「もっとできたはずなんです」 その言葉は
何度も胸の中を回って
出口のない糸になっていました さばくんは
きれいな思い出を重ねて
その糸を隠そうとはしませんでした 「あのとき、苦しかったのですね」 責めることも
許すことも急がない声が
擦り切れた布の上へ そっと降りました
すべてを埋められなくても
そばにいた時間は
ほどけずに残っているのだろうか。

THE SQUARES THAT WOULD NOT ALIGN
第三部|揃わない四角
二人は布を
机いっぱいに並べました 藍色は少し曲がり
花柄は角が欠け
生成りの布だけが
まだ何も語らずに残りました 楽しかった日と
苦しかった日を分けようとしても
一枚の布の中で
二つの色は離れませんでした 「きれいなところだけで
作ったほうがいいでしょうか」 さばくんは首を横に振らず
正しい並べ方も示さず
曲がった一角を 曲がったまま見つめました 揃わない記憶は
間違いではなく
同じ日々を違う光から見た跡でした
悲しさと安堵が同じ布にあっても
どちらかを消さなくていい。
矛盾したまま、大切にしていい。

WHEN THE NEEDLE WAS SET DOWN
第四部|針を置く
糸を通した針が
ひと針目の手前で止まりました 「あの人は
幸せだったのでしょうか」 さばくんは答えられませんでした あの日の胸の内を
代わりに語ることはできない
分からないことを
分かったことにはできない だから針を置きました 慰めの言葉を探す手も止めて
同じ沈黙の中へ座りました 窓の外で風が枝を揺らし
時計が一度だけ鳴って
二人の間には
答えのない時間だけがありました けれど その時間は
置き去りにされた時間ではありませんでした
分からないまま隣にいることも
ひとつの大切な支えになる。
答えを作らず、席を立たない。

TEARS AT THE EDGE
第五部|涙の縁
長い沈黙のあと
その人は擦り切れた布へ
両手を重ねました 「分からないままでも
あの日々は
なかったことにはならない?」 毎朝つくった湯気
眠れない夜の足音
言いすぎた言葉
言えなかったありがとう どれも一つの答えにはならず
けれど どれも
確かに過ぎた時間でした さばくんの大きな瞳の縁に
涙が静かに満ちました 慰めてもらうための涙ではなく
悲しみを奪うための涙でもなく
ここにある時間を
一緒に見つめたときの涙でした こぼれそうな一粒を抱えたまま
さばくんは 深くうなずきました
すべてを埋められなくても
そばにいた時間はほどけない。
うまくできなかった日も、その時間の中にある。

SEWING IN THE EMPTY SQUARE
第六部|余白を縫い込む
二人はもう一度
針を手に取りました 最後の一枚には
写真も 言葉も 模様もなく
生成りの色だけがありました 「ここには何を残しましょう」 さばくんは
「何も決めずに残す場所が
あってもいいと思います」と言いました 縫い目は少し曲がり
間隔も揃いませんでした その人はほどこうとして
しばらく指を止め
やがて そのまま次のひと針へ進みました 空白は隠されず
答えも書き込まれず
キルトの一角で
ほかの記憶と同じように結ばれました
余白を残すことは、忘れることではない。
答えを作らず
大切に置いておくこともできる。

A MORNING WITH ROOM LEFT IN IT
第七部|余白のある朝
別の朝
できあがったキルトが
その人の膝にありました 藍色も 花柄も
擦り切れた布も
曲がった縫い目も
生成りの余白も
朝の光を同じように受けていました 「うまくできた日だけが
あの日々ではなかったんですね」 声はまだ少し震え
悲しみが消えたわけではありませんでした それでも窓を開けると
いつもの町の音が入り
冷めかけたお茶から
細い湯気が立ちました さばくんは
涙があふれそうなまま
今度はゆっくり 深くうなずきました キルトは飾られず
その日の暮らしの中で
肩を包み 膝をあたためました 余白には
普通の朝日だけが差していました
すべてを埋められなくても
そばにいた時間はほどけない。
今日を生きることは、その時間を捨てることではない。