制度は一つ。現場は4+1つ。
ケアマネになると、もう怒らない。驚かない。声も荒げない。
ただ一瞬、何も言わずに天井を見る。
理由は単純だ。
「あ、これはあの自治体だからだ」
と理解するからである。
説明はないが、間違いだけは即分かる街
品川区の対応は、常に静かだ。声量も低い。表情も変わらない。
そして、こう言う。
理由は言わない。代案も言わない。ヒントも出ない。
ケアマネは聞き返さない。聞き返すと、同じ文言がもう一度返ってくることを知っているからだ。
そして、区分変更申請には最大の注意を要する。
「明らかに状態が悪化した。これなら介護度は上がるはずだ」
そんなケアマネの淡い期待は、品川区の重力圏では通用しない。
結果はいつだって不動。
品川区の介護度はダイヤモンドよりも硬く、永久凍土のように溶けない。
品川区において介護度が変わる現象は、都市伝説レベルの奇跡とされている。
極めつけは、この街には時空の歪みがあることだ。
全国の自治体が「地域包括支援センター」へ移行して久しい令和の現代において、
品川区はいまだに『在宅介護支援センター』が現役で存在している。
看板を見た他区のケアマネは、自分のスマホのカレンダーを二度見し、戦慄する。
「あ……あれ? 私タイムスリップした? ここまだ平成一桁だっけ?」
流行には流されない。制度の名称すら変えない。その頑固さはもはや重要文化財レベルである。
正解は一つ。次に出す書類で、相手の意図を察する。
ケアマネは悟る。
制度は参考資料。正解は沈黙の向こう側にある。
すべてが正しく、すべてが重い街
大田区は優しい。とても丁寧だ。説明も論理的で、間違っていない。
ただし、全部やる。
「念のため」「一応」「可能であれば」
かつてはハンコの数も尋常ではなかった。
「ここにも念のため押印を」
書類が赤い。とにかく赤い。
提出書類はまるで秋の紅葉のように、一面に朱色の花が咲き乱れていた。
さらに、大田区役所には最後の試練、「地下駐車場(別名:サウナ大田)」が待ち受けている。
夏場、車を降りた瞬間にメガネが白く曇り、視界を失う。
熱気と湿気が渦巻くその空間は、もはや日本の気候ではない。
汗だくで必死に棒を振る誘導係のおじさんを見るたび、ケアマネの脳裏には書類の不備など消え去る。
「水を……! 誰かあの方に水をOS-1(オーエスワン®大塚製薬)を……! 生命維持が先だ!!」
自らの仕事よりも他人の命を心配する。それが大田区役所の地下である。
気づくと、利用者より書類の方が多い。
提出後に来る電話。
“念のため”とは、終わりではなく第二章の合図である。
ケアマネは悟る。
利用者のために動くほど、書類が増える。書類のために動くほど、さらに増える。
一つの市に、複数の現実が共存する街
川崎市は言う。「市としてはこの扱いです」。
ケアマネは一度、安心する。ここで油断する。
次に区に行くと、こう言われる。
「前例がありません」
「過去に指摘がありました」
ケアマネは静かに思う。「さっき聞いた“市”は誰だったんだ」
だが油断してはいけない。川崎市(本庁)は、時として各区より遥かに強い力を持ち、突如として現場に介入してくる。
「本庁の決定です」
その鶴の一声で、区の抵抗は一時的に沈黙する。まるで雪が降り積もった朝のような静けさだ。
市の介入は平和条約ではない。終わりのない『禅問答』の始まりである。
しかし、川崎市には唯一にして最大の美点がある。
「行政手続がダントツで一番早い」
内部調整という名の迷路に迷い込んでいるにも関わらず、行政手続だけは光の速さで完了する。
申請書をポストに入れた残像が消える前に、もう手続きが完了している(体感)。
「早すぎる……。私の申請を予知していたのか……?」
川崎市では、議論は平行線でも、手続きだけは最短距離を駆け抜ける。
ケアマネは悟る。
川崎市は、区ごとに法律が違う連邦国家である。
最新が常に過去になる街
横浜市は巨大だ。そのため、運用が止まらない。止まれない。
通知は出る。様式も出る。解説もある。
ただし、どれが最終版かは誰も言わない。
昨日まで通った書類が、今日はこう言われる。
最新版はどこか。「ホームページです」。
ホームページには、それっぽいPDFが7つある。
そしてある日突然、書式が生まれ変わる。予告はない。
最近も『認定調査票』がサイレント・バージョンアップを遂げた。
確かに便利にはなった。だが、ケアマネは画面の前で膝から崩れ落ちる。
「なぜだ……なぜ『全項目リセットボタン』だけがない……!」
入力はハイテク。削除はアナログ。
横浜市の進化は、いつだって少しだけ中途半端な優しさで構成されている。
さらに特筆すべきは、新市庁舎だ。あれはもはや役所ではない。『要塞(フォートレス)』である。
入口には日本国 衆・参議員会館 顔負けの鉄壁のセキュリティゲート。
書類を出しに来ただけの善良なケアマネを、まるでスパイ映画の侵入者のようにIDカードで冷酷に選別する。
ふと横を見れば、歴史ある神奈川県庁が小さく見えるほどの、圧倒的で豪華絢爛なビル。
「……県庁舎より立派ではないか……?」
そのあまりのスケール感に、ケアマネは入館ゲートを通るだけで、自分がちっぽけな存在に思えてくるという、意図せぬ謙虚さを学ぶのである。
横浜市における最新版とは、“今日たまたま通った書類”のことである。
ケアマネは悟る。
横浜市とは、最新版が常に一歩遅れて存在する街である。
「人で運用が変わる」ことを、誰も否定しない街
横須賀市に書類を出すとき、ケアマネはまず考える。「今回は、誰だ」
制度を確認する前に、様式を見る前に、まず思い出す。
前回は通った。でも今回は、あの人かもしれない。
横須賀市の説明は、だいたいこう始まる。
ケアマネは内心でうなずく。「ですよね」
そんな横須賀市は、全国に先駆けて『AI』を導入したハイテク自治体でもある。
すごい。最先端だ。
しかしケアマネは知っている。AIがどれだけ正確な回答を弾き出そうとも、現場のルールブックは最終的に『窓口のBさん』の気分で書き換わることを。
AI対ヒューマン。
横須賀ではまだ、人間味(という名のカオス)がAIを凌駕している。
話せば通じる。だが、話さないと何も始まらない。
書類だけ出すと、止まる。電話すると、動く。
そもそも、この街は物理的にもハードだ。
かつてはショートステイの送迎時、崖の上に住む利用者を誰が下ろしていたと思う?
消防隊だ。
ヘルパーでも家族でもない。レスキュー隊が自宅へ駆けつけ、要介護者を担いで崖下の送迎車まで搬送する。もはや介護ではない。「救出」だ。
現在はその熱い任務を、消防局認定の民間事業者が引き継いでいる。担い手は変わったが、崖の角度は変わらない。
断崖絶壁の地形と、難攻不落の窓口。
俺たちは今日も、この愛すべきカオスな街で、AIには弾き出せない「人間くさい調整力」で、難局を乗り切っている。
ケアマネは悟る。
合理性より、人間味が勝つ日がある。
※注意
本稿は筆者個人の見解(独自の解釈および主観)に基づき、 各自治体の皆様への深い敬意と感謝の念を込めて 作成したものです。
内容は特定の個人・団体・制度を断定的に評価する趣旨ではなく、事実関係の正確性や完全性を保証するものではありません。
記載内容はあくまで“ケアマネあるある”としてのエンターテインメントとしてお楽しみください。