ケイパビリティ・アプローチ※1で
ケアプランを書くとは何か
― 「回復」を目標にしない専門性 ―
はじめに:ケアマネジメントは「不足の列挙」から始まりやすいです
ケアマネジメントは、しばしば「不足の列挙」から始まります。要介護度、ADL※2、認知機能、疾患名、家族介護力、住宅環境、サービス利用歴。これらは把握すべき情報である一方、並べれば並べるほど、本人の生活は「できないことの集合」に再構成されやすいです。
さらに、目標設定が「歩行距離の増加」「食事摂取量の増加」「更衣の自立」など、機能回復※3を直線的に想定する形に偏ると、現実との乖離が拡大しやすいです。高齢、慢性疾患、進行性疾患、複合課題の状況では、機能は一定の揺れを伴い、回復は時に緩徐で、時に限定的です。すると評価の場面で「目標未達」が続き、本人にも支援者にも、達成感より無力感が残りやすくなります。
ここで、ケイパビリティ・アプローチ(capability approach)※1が有効な軸になります。ケイパビリティとは、本人が価値を置く生活を実現できる「実現可能性」※4の幅です。重要なのは、資源や能力そのものではなく、それが実際の生活として立ち上がるまでの「条件」です。つまり、本人の「できること」を問うだけでなく、「できるようになる条件」「続けられる条件」「崩れない条件」を問う枠組みです。
この転換は、単なる理念ではなく、ケアプランの書き方を変える技術です。目標を「能力の回復」に置くのではなく、「望む生活が成立する条件(環境・支援・合意)」として定式化※5できるようになります。結果として、成果評価が現実的な単位へ戻り、支援者の過剰な責任感も整理されやすくなります。
1. 「ADLが低い」から「生活が成立しにくい条件」へ
ADLは重要な指標です。しかし、ADLは生活の結果の一部であり、生活の全体ではありません。たとえば更衣が全介助であっても、本人が「朝、整える」「外に出る」「人に会う」ことを価値とする場合、その価値が成立する経路は複数存在します。
衣類の選択、着替えの順序、時間帯、声かけ、環境調整、福祉用具、介助の型、家族との役割分担、サービスの組み合わせによって、「その人らしく整って外に出る」ことは成立し得ます。ここで問うべきは「更衣の自立」そのものではなく、「整って外に出ることが生活として継続する条件」です。
ケイパビリティ・アプローチは、機能障害や能力不足を否定しません。むしろ、それらを出発点として、生活が成立する経路を設計します。これにより、支援の焦点が「欠けている能力」から「成立条件の設計」へ移ります。
2. 同じ資源でも結果が違う――「変換条件」を診ます
介護保険サービスや医療資源は、投入すれば同じ効果が出るものではありません。ここにケイパビリティの核心があります。資源は、本人・環境・社会の条件を介して初めて生活の結果へ変換※1されます。
同じ訪問介護を入れても、ある人は生活が回り、ある人は回りません。差は「本人の努力」の有無だけで説明できません。視覚障害、難聴、失語、疼痛、疲労、抑うつ、服薬の副作用、家屋構造、段差、動線、同居者の就労状況、近隣関係、交通手段、金銭管理、制度理解、文化的背景、羞恥や抵抗感、サービス提供側の説明の仕方。これらが変換条件として働きます。
ケイパビリティ・アプローチは、「サービス量」より「変換条件」に着目します。支援がうまくいかないとき、増やす前に問うべきは、変換を阻害する条件がどこにあるかです。ここを見落とすと、サービスは増えるが生活は軽くならないという現象が生じます。
3. 目標は「改善」ではなく「成立条件」の文章で書きます
ケアプランの目標は、しばしば「〜できるようになる」という形で書かれます。リハビリ領域では有効な場面もありますが、ケアマネジメント全体では、それだけでは薄くなりやすいです。なぜなら、生活は能力だけで成立しないからです。
成立条件として書くと、目標は次のような構造を持ちます。本人が価値を置く生活の場面を特定し、その場面が成立するための条件を、環境・支援・合意として文章化します。合意には、本人の意思だけでなく、家族の負担、事業所の提供可能範囲、医療上の制約、制度上の限界を含めます。これが整うと、目標は抽象的な理想ではなく、運用可能な設計になります。
たとえば「入浴が自立する」ではなく、「週2回、本人が安心して清潔を保ち、皮膚トラブルを回避しつつ、介助者の負担が過大とならない形で入浴(または清拭)が継続する条件を整える」と書きます。ここには、清潔保持という医学的要素、皮膚状態という観察指標、介助負担という持続可能性、頻度という運用条件が同時に入ります。これが「生活が破綻しない」目標の文体です。
4. 成果評価は「機能の上昇」だけに置きません
評価が機能回復のみになると、慢性疾患や進行性疾患では、努力が常に未達として記録されやすいです。ケイパビリティ・アプローチでは、評価の単位が変わります。生活が成立したか、破綻を回避できたか、本人の価値が維持されたか、選択の幅が確保されたか、急変や事故のリスクが低減したか、家族の介護負担が持続可能な範囲に収まったか、といった指標が中心となります。
この評価は甘さではありません。現実を正しく測ることです。たとえば、転倒が続いていた人で、歩行能力が劇的に改善しなくても、住環境調整と動線設計と見守りの再編で転倒が減り、外出が再開できたなら、ケイパビリティは拡大したと言えます。ここにケアマネジメントの成果があります。
5. ケアマネジャーの心が救われる構造――「万能責任」から離れます
現場の消耗は、単に多忙だからではありません。達成の定義が誤ると、専門性が「結果の保証」にすり替わりやすい点に本質があります。家族や関係者の期待が高いほど、「この人の生活を何とかしなければならない」という万能責任※1を抱えやすいです。
しかし、生活は本人の身体・疾患・社会条件・制度・家族関係が織りなす複合系※2であり、単独職種が支配できる対象ではありません。ケイパビリティ・アプローチは、責任の置き方を変えます。支援者の責任は「結果を保証する」ことではなく、「成立条件を設計し、選択肢の幅を確保し、破綻を回避する」ことへ移ります。
これは責任放棄ではありません。支援者が担うべき責任の範囲を、現実と倫理に即して定義し直すことです。成立条件に焦点を戻すと、議論は「誰が悪い」から「どの条件が詰まっているか」へ移ります。これは支援者の心理衛生だけでなく、支援の質にも直結します。
6. 実務への落とし込み――問いの立て方を変えます
ケイパビリティ・アプローチをケアプランに実装する際、最初に変えるべきは質問です。「何ができないか」ではなく、「何が成立したら生活が前に進むか」を問います。
本人に対しては、「一日がうまく回った日には何が起きていたか」「困る場面はいつ・どこで・何が引き金か」「やりたいことをやるために、何が足りないか」「誰と、どんな距離感で暮らしたいか」といった、生活の設計図に関する問いが中心になります。
家族に対しては、「負担の限界はどこか」「譲れない点と譲れる点は何か」「家族が守りたい生活は何か」を明確にします。事業者に対しては、「提供可能な介助の型」「危険域」「連絡基準」「代替案」を言語化します。こうして合意条件が整います。
そのうえで記録は、本人の価値、阻害条件、成立条件、観察指標、連絡基準、代替手段を軸に置くと、運用可能性が上がります。ケアプランが「願望の文章」ではなく「生活の仕様書」※1に近づきます。
7. 限界と注意点――抽象概念に終わらせません
ケイパビリティは便利ですが、曖昧にもなり得ます。「その人らしさ」「自己実現」といった言葉だけが増え、現場が動かない状態は避ける必要があります。成立条件は、時間、頻度、手順、連絡基準、観察指標まで落とすことで初めて運用可能になります。
また、本人の選好※1は常に固定ではなく、病状・疼痛・疲労・心理状態で揺れます。合意は一度で完成しません。再合意※2の仕組みを設け、変化に合わせて条件を更新する設計が必要です。
もう一つの注意点は、安全と自己決定の緊張です。ケイパビリティを拡大しようとするほど、リスクが増える局面があります。ここでは、リスクをゼロにする発想ではなく、リスクの性質を分解し、許容可能域※3を合意し、事故時の連絡と介入を設計する方が現実的です。これも成立条件の一部です。
結語:「生活の実現可能性」を扱うことが、ケアマネジメントの核です
ケイパビリティ・アプローチは、要介護度やADLの評価を否定しません。その上で、生活を「不足の一覧」から解放し、本人が価値を置く暮らしが成立する条件を設計対象に据えます。目標が回復の理想から成立条件の文章へ変わると、評価は現実的になり、チームの議論は具体化し、支援者の責任は過剰な万能責任から専門的責任へ戻ります。
ケアマネジメントは、誰かを完全に救う仕事ではありません。生活が破綻しないように条件を整え、本人の実現可能性を広げ、揺れを前提に更新し続ける仕事です。ケイパビリティ・アプローチは、その仕事を言語化し、文書化し、共有可能な技術へ変換する枠組みです。ここに、現場の心身を守りながら専門性を深める道筋があります。